アメリカで誕生したハーレーダビットソン
ハーレーの危機とショベルヘッドエンジン
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更なる激動の時代へ突入
世界中を巻き込んだ第二次世界大戦がようやく終わりを迎え、平和な時代が訪れたことで、ハーレーもまた素晴らしい製品作りに専念できると思われていた矢先に米ソ冷戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などアメリカではまだまだ戦争との関わりが絶えない時代が続くことになります。
ナックルヘッドエンジンの登場によりインディアンよりも優位に立ったとされていたハーレーですが、トライアンフなどのイギリスメーカーともライバル争いを繰り広げることになります。
その頃登場したのが現在でも人気の高いスポーツスターのXLです。
イギリス製品に対抗する形で開発されたスポーツスターは、素晴らしい走行性能を発揮する車種として人気になり、ショベルヘッドと呼ばれて人気を得ました。
更に豪華な外観を誇るバイクとして登場したデュオグライドも発売されています。
XLのエンジンを更にパワーアップさせたエンジンとして登場したのがショベルヘッドエンジンです。
シリンダーヘッドの形を見ると重機のショベルのように見えたことからショベルヘッドと呼ばれました。
ショベルヘッドエンジンとセルスターターを搭載しているエレクトラグライドは大人気車種になりました。
AMFの時代へ
1968年にはアメリカの機械メーカーとして知られるアメリカン・マシン・ファンダリー社と業務提携を結ぶことになります。
この時からハーレーダビットソンの社名はAMFハーレーダビットソンになり、発売されるバイクにもこのロゴが使われるようになりました。
AMFとの業務提携は日本メーカーがアメリカでも台頭してきたことに対抗するものだったとされています。
その後も様々な名車の開発を順調に続け、スタイリッシュなFXスーパーグライドを発売し大人気となりましたが、第一次オイルショックの影響を受けて生産コストが増大したことや品質が低下したとの評判が増えたこと、従業員のストライキが発生しました。
アメリカでもどんどん評判が良くなって来た日本メーカーのバイクは品質が良くて価格も安いともてはやされたことから、更にハーレーを経営危機に追い込む形になっていきました。
1970年代後半にはハーレーの経営に対するAMFの意欲が薄れつつある様子が顕著に見られるようになったことが品質低下を招いたとも言われています。
まさに、ハーレーの危機が訪れようとしていましたが、ハーレーの役員が業務提携から株を買い戻す形で再び独立する流れへと変わっていきます。
後に新たな車種を続々発表することで新しいハーレーの時代が幕を開くことになりますが、ここまで辿り着くまでには苦難の時代だったといえます。
素晴らしい製品を開発していたのにも関わらず、あまりにも時代が早く過ぎ去っていくことについていくのが精一杯だったという印象を受ける時代でした。
はじめまして!ハーレーマニアのmasatoです!
まだまだ勉強中ですがハーレーの魅力や情報をご紹介します!
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