アメリカで誕生したハーレーダビットソン

12月 18, 2015 - masato

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輝かしい歴史の始まり

今では世界各国で知らない人はいないと言ってもよいくらいに有名になったハーレダビッドソンが誕生したのは、100年以上前の1903年のことでした。
アメリカのミルウォーキーにて誕生したバイクは、徐々に進化を遂げて現在の素晴らしい高品質なバイクを生み出すきっかけになりました。
アメリカで誕生したハーレダビッドソンの始まりについてご紹介します。

参考:ハーレーダビッドソン誕生

第一号機が誕生するまで

ミルウォーキーで暮らすウイリアム・シルベスター・ハーレーとアーサー・ダビットソンは協力しながら自転車用のバイクエンジンの開発を手がけていました。
そこにアーサーの兄ウォルター・ダビットソンが加わって、記念すべきハーレーダビットソン第一号が誕生したのです。

当時のキャブレターはトマトの缶詰の空き缶を再利用したもので、まさにハンドメイド感たっぷりの作りで、エンジンも現在とは異なる単気筒エンジンで、排気量も約400ccしかありませんでした。
この時に誕生した第一号は現在でもハーレーミュージアムに展示されていますので機会があればぜひご覧になってください。

1903年といえば、ライト兄弟が初めて動力飛行を成功させて飛行機を実用化させる第一歩を踏み出し、自動車メーカーとして知られるフォード・モーターが設立された年でもあります。
乗り物の形は違えど、当時は新しい時代の幕開けを感じさせてくれる年になったことは間違いありません。

株式会社の設立

第一号機が完成してから何度か改良が行われ、ほそぼそと生産を続けていました。
その後1906年にはサイレントグレーフェローというモデルを発表したことで年間50台生産することに成功しました。
現在のように大きな会社に成長したハーレーダビットソンが、年間でたったの50台しか生産できなかったのかと考えると信じられないかもしれませんが、当時は現在のような生産ノウハウが存在していないので仕方のないことでした。

1907年にはダビットソン兄弟の長男であるウィリアム・ダビットソンが経営陣に加わり、合計4人で会社を設立することになります。
初代社長に就任したのはウォルターでしたが、ハーレーとダビットソンという名前の順番でハーレーが最初に来ているのは、バイクの大事な部品でもあるエンジンの設計をハーレーが担当していたからだと言われています。
会社を設立する前年には年間で50台しか生産できませんでしたが、会社設立後は170台に増産されることになりました。

ハーレーダビットソンの設立当時は会社とはいっても、とても小さな納屋のような建物でした。
ダビットソン兄弟の父親が作ったという小屋を工場にしてバイクを生産していたそうなので、今ではとても考えられないような話です。

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masato

はじめまして!ハーレーマニアのmasatoです! まだまだ勉強中ですがハーレーの魅力や情報をご紹介します! Twitter@<a href="https://twitter.com/masato88850739">https://twitter.com/masato88850739</a>